CG History

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最近CGの歴史に興味ない若者が多い。単にCG技術の知識があれば いいというのでいいのであろうか。物理や数学での理論はギリシャ時代からの長い歴史があり、○○の理論といってもその発明者は現存しておられない。一 方CGは50年余の歴史で、種々の技法を発明・発案した人はまだ生きておられる。多くの技法は、博士論文や修士論文などで学生時代に考えられたものが多 く、今の学生にも発明者になるチャンスはあるのである。そういう意味で歴史をしれば技術に興味を持つのみでなく、考案者側になれる希望につながるであろ う。
戦後70年、日本でTV放送が開始され60年経過してるが、CGはまだ50年余の歴史である。最近ほど技術の進歩は加速されているが、この短い期間での技 術進歩は目覚ましい。歴史を学ぶことで、自分の座標を知ることになり、未来の技術進歩につながる。

参考;西田のCG技術への貢献;< Radiosity | Soft shadow | Bezier Clipping | Light Scattering | Natural phenomena |  Fluid dynamics | NPR | history, Topics >

こ のページは西田の過去の講演スライドを組み合わせ、解説を加えたものである。他の目的 で作成したので冗長の情報を含むスライドもありま す。ここでは、CGパイオニアCGハードの変遷, 日 本のCG史学会 に関する章に分けてまとめた。なお、スラ イド画像はクリックすると拡大画像が表示されます。 (キ-ワード:本 物の継承年表Coons賞筆 頭論文順位エ ピソード (2015/3作成)


CG研究のパイオニア達


CGは1960年代初期に誕生したといわれ50年余の歴史である。 Shutherlandが博士課程で行ったスケッチパッドが起源とされてるのが一般的で ある。


スライドの右上画像は、ShutherlandがMITリンカーン研究所に おいて最新の大型計算機TX−2を利用してSkechpadを開 発している様子と、代表的な歴史的研究を示す。また、黄色はACM SIGGRAPHからの受賞者を 示す。
特に、CGの研究が広がったのは、Shutherlandが10の未解決問題の論文を発表し、その中に3次元物体の隠線消去問題などがあり、その解決を目 指した研究者が増えた。Shutherlandの指導教授は情報理論を最初に確立したC. Shanon(右欄参照)である。その後、Shutherlandは ハードにも興味もち、そのハードの研究で情報処理分野の最高峰フ賞であるTuring賞(Turingは右欄参照)も受賞した。


Shutherland(右上の写真;2013年京都にて)は、1966年 に「Datamation」という学会誌で10の未解決問題を提 起した。その中には、隠線消去・隠面消去問題、ハーフトーン画像生成、図形操作の技術、図形の構造表現、アニメーション、グラフックス機器の低コスト化 と 性能向上をあげている。
(西田もこの論文の影響で、1971年に隠線消去の論文を、1973年にハーフトーンの論文を発表した)


1967年、Shutherlandはユタ大学のエヴァンス教授に誘われて ユタ大学に移った。この研究室で多くのCG界で著名な研究者を創出した。とくにアランケイは計算機の個人化を推進した。
特に興味あるのは、「情報理論の父」といわれ るShanonの弟子が、「CGの父」と言われるShutherlandを教え、Shutherlandは「PCの父」と言われ るアラン・ケイを指導したということである、3代にわたる 著名な人材がCGに関連してることである。しかも3人とも 「京都賞」、 2人がチューリング賞を受賞しておられる。
ACM SIGGRAPHで最も権威ある賞はクーンズ賞である、このクーンズは Shutherlandの博士審査委員の1人であった。この弟子のネグロポ ンテがMITメディアの創始者である。右上の写真はクーンズ賞の副賞でクーンズ曲面で表現されている。世界で15個しゥない。
エドキャトマルはルーカスフイルムのCG部門にいたが、これをアランケイの仲介で、Apple社の創始者のスティーブジョブスが買い取り、ピクサーを設立 した。さらに最近はスティーブジョブスの働きかけによりディズニーのグループに入った。


上の画像は計算機歴史博物館に展示してある写真である。右上はMIT時代 で、その後VRの定番であるヘッドマウンティドディスプレイを開発した。左はユタ大に移籍した後、エバンス教授との写真


CGの教科書にでてくる、Zバッファ法、バンプマッピング、スムーズシェーディング、パストレーシング、隠面消去のいくつかの方法は、このユタ大学で 1970年前半に開発されたものである。また、彼らの成果が評価されSIGGRAPHから多くの卒業生は受賞している(右欄に説明画像)。 右下の写真はユ タ大の前に立つハンククリスチャンセン(西田を米国に招聘してくれた教授)である。彼はユタ大学と共同研究したのみでな く、彼の大学でMOVIE BYUというCGシステムを開発し、世界中に 販売した。


ユタ大学は、研究面のみでなく起業家も多く出している。上の計算機博物館所 蔵の画像であり、代表的な人にSGI、ピクサー社、Adobe社などの創設者がいる


ユタ大学のCG研究室出身の研究者は起業した人が多い。Suthrland教授はEvans教授とともにE & S社(エバンスアンドサザーランド社:フライトシュミュレータ作成)を大学の傍に設立した。H.Clarkはスタンフォー ドの准教授経てSGI社(グラ フィックスワークステーション)、その後Netscape社、J. Wornokはゼ鴻bクの研究所を経てAdobe社、Ed Cutmallはルーカスフィルムを経て、Appleの創始者のスティーブジョブスの支援(アランケイが仲介)でピクサー 社(当初は計算機製造)を設立し た。


アランケイはSuthrlandのもとで博士号を取得した。最近のパソコン 時 代を生み出した「PCの父」であり、オブジェクト指向プログラミングを手掛けた。ゼ ロックス研究所(その後アップルの研究所に:西田が講演に訪ねたころ)でのインタラクティブな計算機使用はスティ−ブジョ ブスに影響を与えた。
右下写真は、UEI社が作成したタブレット計算機Enchant.Moonを試してるもの。


CGの表現技術は最初はMIT,次にユタ大において多くの基礎技術が開発さ れ た。右上Cutmulが開発したのハーフトーン表現(世界発の人間のアニメ)である。その後Suthrlandドは会社を設立しカリフォルニアに移った。 まさに西部開拓史のごとく、ボストン -> 西部のユタ -> カリフォルニアとCGの拠点が変遷した。左下は 京都賞で来日した時の写真でこのときは大学教授である。サーザーランドは、SUNの副社長になり、現在はポートランド州立大学の客員教授

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各年代で研究の中心は変遷した。
 1970 年代
隠面消去、シェーディング、マッピング、透過

 1980年代;
光線追跡、ラディオシティ、ボリュームレンダリング

 1990年代
動画、自然物、並列高速処理

CG 研究の年表  
開発者

内容
Jack Bresenham 1965 efficient algorithm to scan convert lines
Ivan Sutherland 1966 first head-mounted display
Appel 1968 Ray tracing
Bell Labs 1969 First frame buffer built (3 bits)
Warnock 1969 Area subdivision algorithm
Gouraud 1971 Intensity interpolated shading
Goldstein and Nagel 1971 first ray tracing using Boolean set operations
(the basis of Constructive Solid Geometry)
Richard Shoup,
(Xerox PARC)
1972 First 8-bit frame buffer (with color map)
Newell, Newell, Sancha 1972 Depth-sorting
Ed Catmull 1974 texture mapping on curved surfaces
Sutherland, Hodgman 1974 polygon clipping algorithm
Phong Bui-Tuong 1975 specular illumination model and normal interpolation shading
Jim Blinn 
1976 environmental mapping
Frank Crow 1977 solutions to the aliasing problem
Jack Bresenham 1977 efficient algorithm to scan convert circles
Jim Blinn 1978  bump mapping
Kay,  Greenberg 1979 First synthesis of rendering transparent surfaces
Turner Whitted 1980 general ray tracing paradigm which incorporates reflection, refraction, antialiasing, and shadows  *1
Disney films 1982 TRON containing 15 minutes and 235 scenes of computer generated images.   Companies involved were MAGI, Triple I, Digital Effects, and Robert Abel and Associates *2
James Clark 1982 Silicon Graphics is founded 
Nihsita
1982
Soft shadows due to extended light sources
William Reeves 1983 Particle systems introduced 
Nishita, Nakamae
1983 Inter-reflection of light with shadows *3
Goral, Torrance, Greenberg, Battaile 1984 Radiosity without shadows
Steve Jobs 1986 Pixar is bought from Lucasfilm  .
Nishita
1987
Light scattering due to particles (shaft of light)
Pixar
1989 Tin Toy wins Academy Award for best animated short film *4
Nishita,Sederberg 1990
Bezier Clipping for ray tracing of Bezier paches
Debevec

Image-based rendering
Igarashi
1999
Teddy
上の表の補足

*1 Whittedの開発したレイトレーシング

*3 ラジオシティ法(相互反射)

*2 世界最初のCG映画 

*4   ピクサー社は1986年以来多くの作品を作成した
                         

CGの研究機関について

米国においては前述のユタ大が研究のメッカであるが、その後スタンフォード大、MIT、ノースカロライナ大、ワシントン大、コロンビア大、ブラウン大な ど広く発展した。
欧州では、ドイツではMPIやダルムシュタット工科大、フランスのINRIA,
スイスのローザンヌのスイス連邦工科大、チューリッヒのスイス連邦工科大(ETHと呼ばれる)を中心に研究がされた。
中国はかなり遅れてスタートしたが、杭州の浙江大、北京の精華大が中心で発展した。

企業に関しては、ゼロックス、SGI,アップル、NVIDEA,MERL(三菱関連),マイクロソフトの順でSIGGRAPHの発表数も移動した。まさ に、その時代の 企業の元気さと比例していた。最近では、マイクロソフトに多くの研究者が集中しており、特に北京にあるマイクロソフトアジアの論文数には驚くものがある。 同時に、最近ヒット作品を続出しているデズニ-の研究所であるデズニ-リサーチ(米国とスイスに拠点)も活躍している。

PARKの活躍
米XEROX 社が1970設立
Smalltalk、イーサネット、レーザープリンター、グラフィカルユーザインタフェース (GUI)、ユビキタスコンピューティング
1979年、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツが見学に訪れる
著名人; A.Key、Wornock

CGに限定せず、情報分野一般において貢献した人物をまづ知るのも重要である(シリコンバ レーにある計算 機歴史博物館の展示写真で説明)

C. Babbage:階差機関

A. Turing ; 計算機科学および人工知能の父

C.Shannon ; 情報理論の考案者


ユタ大の出身者の多く(青文字で表示)は
SIGGRAPH から受賞している


ユタ大学において開発された最初のハーフトーンシステムによる曲面表示(1972)



計算機歴史博物館には、ソファーが展示して ある。 このソファーはゼロックスの研究所PRAC(1970年設立)がいかにリラックスした研究環境だったかを示してい る。西 田は、1989Nこの研究所で講演をしており、確かに皆さんソファーに寝転びながら私の講演を聞いていた。右下写^は当時訪問した際、エリアシングの先駆 者F. Crow(サザーランドの弟子)との写真。この講演の後、アップル社でも講演した。

CG界の著名人
Ivan Sutherland - developed Sketchpad in 1963, first head-mounted display in 1966, co-founder of Evans and Sutherland.
James Blinn - pioneer of texture mapping and light reflection on curved surfaces; planetary fly-bys, educational animations at JPL (1977-88).
Jack Bresenham - developed efficient algorithms for scan converting lines and curves.
Loren Carpenter - helped develop use of fractals in graphics, major contributor at Pixar.
Ed Catmull - invented z-buffer and techniques for displaying curved surfaces (1978), invented texture mapping. Developed animation program TWEEN. First president of Pixar (spun off of Lucasfilm in 1986), long-time collaboration with Alvy Ray Smith.
Robert Cook - developed stochastic sampling, for use in antialiasing and motion blur, invented shade trees.
Frank Crow - innovations in anti-aliasing and shading algorithms (1977).
Charles Csuri - did early work in analog transformations on images, created Computer Research Group and Advanced Computing Center for Arts and Design at Ohio State University, co-founded Cranston-Csuri animation firm (1982-87).
Pat Hanrahan - developed RenderMan with Bill Reeves. Prolific contributor to the graphics field, winner of 1995 SIGGRAPH Computer Graphics Achievement Award.
John Lasseter - writer and director for Disney, Lucasfilm and Pixar. VP of Creative Development at Pixar.
Nelson Max - pioneer in scientific and mathematical visualization at Lawrence Livermore Labs (1977 - present).
Alvy Ray Smith - major contributor at NYIT and Lucasfilm/Pixar, directed The Adventures of Andre and Wally B., long-time collaboration with Ed Catmull, VP at Pixar, now at Microsoft.


クーンズ賞とは;The Steven A. Coons award is presented in odd-numbered years to to honor lifetime contribution to computer graphics and interactive techniques.
以下にクーンズ賞の受賞者を紹介
(写真はパスワードが必要なものある)

1983 Ivan E. Sutherland 西田との写真

1985 Pierre Bézier 

1987 Donald P. Greenberg 西田との写真

1989 David C. Evans 

1991 Andries van Dam 西田撮影写真(受賞者ラ ンチ)

1993 Ed Catmull 西田との写真

1995 José Luis Encarnação 西田撮影写真

1997 James Foley

1999 James F. Blinn 西田との写真

2001 Lance J. Williams

2003 Pat Hanrahan  西田との写真

2005 Tomoyuki Nishita


西田の受賞のLAでの祝賀会(2005)


CGの歴史上重要な技術の開発と受賞者
(SIGGRAPH S.A. Coons賞など)との関係。



研究・発表のエピソード
Ray Tracing; Whitted が開発者として有名であるが、その前にAppelが隠れ線消去のためにRay Tracingを利用していた。Whitted は一般化して反射屈折まで考慮した画像を生成したことから有名になった。
Radiosity; もともと熱の反射 の問題、あるいは光の相互反射の問題はしられており、その解決法は教科書にもあった。ただ、障害 物を考慮できないので、単なる凸多面体の空間内でしか計算できなかった。それに部屋にある什器まで考慮して計算するようにしたのが西田らおよび Chohenらで、其々独立に、西田らは聡明工学の理論を進展させ、コーネルは熱力学の理論を発展させてCGに利用できる方法を発表した。ただ日本国内で は西田らの方が先に発表しており、Chohennの書籍でも日本で開発されていたと書いている。
Metaball; Blinnは密度球の 集合で物体を定義する方法を学会誌TOGに発表した。それとは独立に5年後ではあるが大阪大学で メタボールと称する方法を発表した。こちらは素晴らしい作品や編集エデイターも開発し、より実用的だったため、メタボールと言う名前の手法として定着し た。当時大阪大に出入りしていた河口洋一郎はメタボールのシステムを利用した作品で脚光をあびた。
Teddy; 輪郭を描くだけで3次元物 体を定義できる方法を五十嵐(当時学生)が発表した。ただ、この方法と類似した方法は10年近く 前にグラフックスの研究会で発表されており、特許も申請されていた(参 考の類似特許。ただこの頃は会話的にできる計算機環境はなかったので利便性あ認 識されていなかった が、五十嵐はノートPCで簡単にできるデモをしたので、SIGGRAPHに於いてセンセーショナルな発表となった。
TIPS2次元画像を入力すると、始点を わずかながら帰れて3次元の世界にいるように見せる技術である。これは1点消去法の概念を利用し たもので、手動で透視図のヒントになり線をしていすると、視点を変化させたt画像を表現できるものである。SIGGRAPHの前に日本で紹介した際は、会 場でこんな手動の方法は日本のデザイナーは既に行っているのではとの批判もでたが(私が座長だった)、SIGGRAPHでは大好評であった
NPR: Non Photrealistic RenderingはD. Salsinがパイオニアとされてるが、彼の論文では斉藤ら(当時NTT)の論文がヒントになっていると書いておる。さらに、斉藤 らの論文が参考にしたのは当時NTTのアドバイザーであった西田のスキャンライン単位に幾何情報を記憶する論文である。
Volume Light: 大気中の粒子による散乱光は光跡と 言われる。この効果を最初に映像に取り入れたのは1985年にSIGGRAPHのエレクトリックシアターに採択された中前・西田らの映像である。このアイ デアを日本の研究会(1985)で発表し、その論文で情報処理学会山下記念賞を西田が受賞し、SIGGRAPHでも発表した。
Bezier Clipping: 西田が米国BYUに滞在中に Sederbergとの共同研究で、曲面を多角形に分解しないで直接レイと曲面の交点を算出する方法を開発した。その後、この方法を利用した商業CGソフ トも販売された。
PRT: 前計算伝達関数であり環境光によ る影計算に有効な方法で、Sloanが提案した。これは光の伝達関数を基底関数にェ解して前計算しておき、レンダリング時はそれらの係数のみ変える画像合 成方法で ある。この論カでは土橋・西田らの論文がもとになっていると書いている。

CGの歴史の参考サイトおよび資料
参考年表 (CGworlsから)
CG:Wiki
History of Computer Graphics and Animation
computer-graphics.html
youtube.com
CG History utube
history_of_computer_graphics
shorthistory.pdf 
大口著: コンピュータ・グラフィックスの歴史
CG  History 動画
CG  History アニメ
コ ンピュータグラフィックス - Wikipedia
SIGGRAPH - Wikipedia 
ラ ジオシティ - Wikipedia
CG History utube
CG  History ?
【CG 教科書】CGの歴史
CG  History ppt
CGの進化の歴史を知ろう
3DCG  ソフトウェアの歴史
アニメ講義
CG?
コン ピュータグラフィックスの父 日記 
参考年表(CG worldから)
computer_animation wiki
Computer_graphics History: wiki

CG用のハー ド・ソフトの進展



当初はベクター型のデスプレイで線画を表示していた。当時開発されたばかりの大型計算機TX−2を専用使用でき、ディスプレイがついていたことから、図形 描画システ ムSkechpadの開発をサザーランドが試みた(1963)


ユタのティーポットはCGの進展に大きく貢献したので、他の計算機と同じよう展示されている。右図; ピクサー社はピクセルマシンというグラフックス専用計算機を開発した。


ユタのティーポットはCGの進展に大きく貢献したので、他の計算機と同じよう展示されている。右上の写真は最 初に本物のティーポットがあったユタ大学で、その ティーポットはボストンの博物に展示された、その博物館は破産したので、シリコンバレーにある計算機歴史博物館に展示された。最近はガラス箱にいれられ貴 重な存在と位置づけられている。


初期(1970年初頭)はFortrunでCGのプログラムを作成しており、パンチカードを利用してコードを入力。OpenGLなどのライブラリはないの で すべて自分で作成するよう。共同利用なので、1日に2,3回しかコンパイルはできない。

表示モニターは、ベクタースキャンCRT(1970年代),ラスタースキャンCRT(1980年代)、液晶モニターと表示装置は変化した。
計算機に関しては、初期には大学に1台しかない共同利用の大型計算機を利用し、研究室単位で保有できるミニコンピュータ(左下のCG画像のオレンジ○)、 グラフィックス ワークステーショ ン、ディスクトップのパソコン、ノートPCと変化した。
価格は100分のPに低下した。例えば、中前研究して1980年に購入したカラーCRT は1千万円近かった。西cが最初に購入したスキャナーは600万円でしたが、今や4万円で購入できる。また、最初(1990年頃)に購入したカラープリン ターも600万円もした。


シリコンバレーにある計算 機歴史博物所蔵のものを中心に説明


VRの原点である、ヘッドマウンティドヂスプレイはサザーランドか最初に開発した(1966)

上の段は、ベクタースキャン型のCRTである。
左下はSIG社のグラフィックワークステーションとラスタースキャン型ヂスプレイである。右下はピクサー社が 開発したピクセルマシンと呼ばれるCGシステムである。

プログラムコードや濃淡画像を印刷したラインプリンター

CRTの普及前は、XYプロッターで線画を描画していた。



プログラム言語の変遷
 C 言語 (1990年ごろまではフォートラン)
 OpenGL
 Java
グラフィクスハードウェア用の環境
 Shader, CUDA, OpenGL, …
UNITY
Processing  (Javaを単純化し、Oラフィック機能に特化した言語)
 ゲームエンジン
MatLAB

日本でのCGの 歴史


日本では1970年代初頭からCGの研究が始まった(もちろんCGという言葉まだなかった)。 参考; 日本のCG研究 室のリスト (2008 年以前)

 1970年代初頭には、東京大学、山梨大工学部、広島大工学部、いくつかの企業などでCG研究(というより図形処理、CAD)が試みられている。企業と しては、トヨタ、三菱重工、石川島、日本鋼管、NHK技研など図形処理システムの導入のための研究がされた。ただ、そのころの人の多くは他分野に進んでお られ、現在は広島大学及び東京大の系列のみが続いている。

 東京大においては、 穂坂衛教授(情報処理学会会長経験)は1964年の学会でCADという言葉を知られ、CAD関連の 技術として曲面の処理を開発された。1974年には書籍 「コンピュータグラフィックス」を発行された。研究室は木村文彦先生が継がれ、さらに鈴木先生、山口、三浦先生などが育たれた。

ベクタースキャンディスプレイに線画表示

xyプロッターで陰影を表現

ラインプリンターの重ね印字で陰影を表現
  広島大では1970年に中前栄八朗教授が電気機器の製図という目的でXYプロッターで描画することが試みられた。当初は、ラインプリンターの 重ね印字で濃淡を表現し(上の画像参照)、1980年にカラーCRTを導入してから本格的な研究に進んだ(この装置使用のた め西田は企業から 大学に転職。 広島大の中前研究室は山下教授、金田教授と引き継がれた。また、出身者の西田は東大教授(2013年定年)に、土橋は北大 准教授に、多田村は山口大教授、馬場は広島市立大講師に なっていた。広島大は2010年までに10以上のSIGGRAPH論文を発表した



名古屋大では、鳥脇先生(画像電子学会の会長経験)が医療画像処理として研究をされ、多くの弟子が育っている。また、田島 教授は図学の立場で研究を開始され、そこに居られた近藤先生 は東京工科大の教授(芸術科学会、画像電子学会の会長経験)
 東京大の國井研究室は日本の最初のSIGGRAPH発表をされ(後述)、品川、高橋、野間、マオ、幸村、日置先生など多くの研究者を排出されている(当 時助手の藤代先生は現慶応教授)。國井先生はPasific Graphics, Cyber Worldなど多くの国際会議を創設された。
東京工大では、あぐい・中嶋先生が画像処理の立場からCGの研究を始められた。出身者としては宮c、高橋、斉藤、金子先生など多数である。中嶋先生は芸 術科学会を創設された。

大阪大学の大村皓一助教授らは手作りの並列計算機として、レイトレーシング用システムLINKS-1の開発をした。また、この研究室に出入りしていた、 河口洋一郎(現在は、東大教授)はこのシステムで独特な映像を制作し始めた。メタボールを用いた成長モデルの論文を SIGGRAPH1982で発表し、多くの画像・映像を発表された。大阪大の貢献はメタボールの開発である。Blinn がブロブという概念を発表しており、メタボールに類似しているが、阪大は独立に5年遅れ1985年だがメタボール を発表した。今ではメタボールという名前の方が定着している。

企業に関しては、NTTヒューマンインターフェース研究所、IBM研究所、日立、Sony,富士通の研究者がSIGGRAPHで発表している。これらの企 業の研究 員は現在はほぼ皆さんが大学教授になられている。NTTについては西田はアドバイザーとして協力した。民間研究機関では下記の研究者ら活躍された。(現在 は大半の研究者が大学等に移られ、CGの民間研究機関ほぼ消滅してる)

 NTT; 高橋(現東京電機大)、新谷(東邦大)、斉藤(東京農工大)、田中(名城大)
 IBM: 宮田(北陸先端)、大渕(山梨大)、栗山(豊橋)、伊藤(お茶大)
 日立; 安生(OLM)、堀井、栗原
 富士通; 柿本(東京工科大)
  SONY; 戸塚
 トヨタ: 高木

 
CGの研究分野は当初はモデリング、レンダリングを中心に研究されたが、アニメーション、可視化、ユーザーインターフェース、CG技術を要素として使う バーチャルリアリティ(VR)、さらに芸術表現など多岐にわたる。上の図は多くの分野を含む東京大を例にしたものである(SIGGRAPH  受賞者の写真で代表 した)

バーチャルリアリティ関連では、東京大の舘研究室、広瀬研究室、苗村研究室、東京大佐藤研究室の長谷川先生、大阪大学では北村(現 東北大)、筑波大学 岩田先生、舘研出身の稲見先生(慶応大)@などがSIGGRAPHのエマージングテクノロジーに展示し、日本の勢いを示してる。ただ論文と しては今まで、筑波大、大阪大からの論文しか SIGGRAPHに採択されていない。2014年には東大 歴本研究室(Sonyと兼務)の落合君(当時学生)が 粒子で3D表現する方法をSIGGRAPHで発表したのがセンセーショナルである。

可視化の分野の研究者としては、藤代(慶応)、高橋[東大)、伊藤(お茶大)、小山田(京都大)など多数おられる。ただこの分野ではSony(戸塚)や電 総研(村木)から の論文がSIGGRAPHに採択されたが、最近は分野的にSIGGRAPHで発表しにくいものがある。

芸術面では、前述の河口先生に加え、同窓である源田先生(九州大;2015定年)、海外経験も豊富な土佐先生(京都大)、 内山先生(女子美大)、草原先生(早稲田)など が活躍されている。


ACM SIGGRAPHは5種類の賞が ある。特に権威があるのは2年に1人のS.A. Coons賞で、長年の貢献者に与えられる。 Significant New researcherは若手の研究賞に与えられる奨励賞のようなもので、Distingush Artist賞は最近できた賞で芸術家に与えられるもので ある。 東京大学はアジアで唯一、3つもの賞を受賞した。

最近は日本からの論文の採択は厳しい状況になっており、東大クラスの大学からしか採択されなくなってきている。加えて、海外に留学中の若手日本人の論文も 多く なってきた。
 東大の五十嵐健夫(現在は教授)のTeddyが脚光を浴び、五十嵐研の学生や西田研の関係者しか最近は採択されてない。また、35歳以下の日 本人の論文しかこの10年弱採択されてない。理由を推定すると、CGの歴史がながくなり、過去の多大の論文を読めることや、採択経験のある 指導者が必要ということなどから東大レベルに限られてきたのではないでしょうか。
なお、西田は定年退職に伴い、民間の研究所UEIリサーチを設立し、東大時代の共同研究者と研究を継続し成果を上げている。


日本の代表的な貢献は、ラジオシテイを含む照明モデル(西田)、Teddy(五十嵐)、TIPS(堀井、安生)、メタボール、曲 面のレイ トレーシングに適したBezer Clipping法(西田、書籍での解説) と言われている。


個人的には、上の他、斉藤(当時NTT)らのGバッファー、土橋らの雲の生成アニメーション、風切音の生成、坂東の奥行検出で きる写真画像、 楽のコーステックを利用した画像生成、落合の空間粒子で表示する3D表現などが日本からのSIGGRAPH発表でのセンセーショナルなものと思う。


UEI社では。会議室に計算機分野のパイオニアの名前を付けて、社員の意識の高揚を目指している。


西田の修士時代の論文は米国のCG教科書に引用された。

著名なFollyらの書籍で西田のSoft Shadowの論文を紹介
西田の論文を参照し てる書籍は40近い
SIGGRAPH 裏表紙に掲載の西田の作品が多い

陰影モデルには色々な要素があるが、上のスライドの黄色は西田がパイオニアの1人である。





CGの歴史の中で、西田の研究開始時期やSIGGRAPHでの発表時期を示す。

日米の研究環境の比較(ただ20年前の日本の環境)


NPR(非写実表現)の発生起源はある意味日本といえる可能性がある。

西田がパイオニアの研究がいくつがあるが、
どうしてこうした研究に至ったかの経緯メモ を以下に示す。
拡張光源(半影)(1982-)

 最初に配光特性をもつ点光源の研究をしていた。照明工学の本には線光源などが掲載されてい た。それで、 点光源が扱えるようになると、線光源、面光源の拡張した研究へと進展した。問題は照明の計算より影の計算であった。そのため半影空間、本影空間という概念 を提案し、予め影の領域を計算できる方法を提案した。実際には影空間という概念はキでにあったので、これを半影も扱える方法に拡張した。国内では?年に発 表しており、SIGGRAPH 82のアート部門で入選し、ボストンにおいて展示された。それが国際的に半影のCG画像を提示した。
光源に関し、点光源、線光源、面光源、天空光(SIG 1986)と拡張した。天空光は、いま流行の環境光源の原点といえる。

相互反射(1984−)
 照明工学の分野では、相互 反射の計算はハンドブックにも載っていた。ただ直方体の部屋になにも障害物が ない場合の計算法しか確立されていなかった。それを、任意形状の部屋で障害物も許容する方法を提案した。一方、コーネル大は、熱力学の分野での理論を進展 させてラジオシシティ法に拡張した。私の場合は、コーネル大の発表の1年以上前に国内の照明学会において発表していたので、日本の方が先に開発したといえ る。国内での発表時にも、ここまで計算する必要はあるのかといわれてたことがる。 なんといっても、コーネルの提唱したラジオシティがこの分野のスタン ダードになったのが残念である
Bezier Clipping (1990- )
米国BYUに滞在中に Sederbergとともに開発した。最初は彼の講義をきいてBezer曲線につ いて初めてちゃんと学んだ。後半は彼が出張の際は私が代理講義をした。これはいい経験になった。 彼がBezer曲線の分割法のほか、interval arithmeticというの概念を教えてくれた。それらが組み合わされBezier Clippingという方法が確立した書 籍での解説。ネーミングはSederbergであった。このときはフォートラン でプログラミングを行い、私が帰国後柿本さん (当時富士通)がプログラムを引き継ぎC言語化した。また彼が適用例を作成した。私が帰国後半年後に論文が完成し論文投稿した(SIG 1990)。
 Bezier Clippingは多項式の解を求めるの有効であったので、曲線同士の交差判定(1990)、メタ{ール(EG 1994)、領域塗りつぶし、曲面のラジオシティなど多方面で論文を書くことができた。20件近い論文となった。
自然物の表現
 自然物の研究は留学から 帰ってからのメインの研究となった。空の色は大気の散乱によるというのを子供用の辞典 で呼んだのがきっかけである。それでそらの色の計算法を投稿したら、なんと類似したものがあるとのことで不採録となった。 その雑誌は船便で購入していたの で、結果が分かった後にその学会誌をよむことになった。その際は日本は不利と痛感した。地球の大気の色ということでSIGGRAPHに投稿した(SIG 1993)。しかし、実写と比較しないといけないとの査読の意見があり苦慮した。幸い日本発の毛利さんの職場に卒業生がいた点があり、毛利さんに会え、多 くのスライドの中からお借りすることができた。そうした経緯もあり、SIGGRAPH論文が実現した。 水の色に関しては中国からの留学生が担当してくれ た(1991)。雲に関しては、雲の多重散乱光の計算が最初である(SIG 1996)。この際はメタボールとフラクタルということでモデリングしていた。そのモデリング法は、土橋、宮崎に引き継がれ発展した。 土橋との雲の論文は16件にもなった。
光跡・コースティク
 コースティクに関しては、 Watteが最初に論文を発表した。広島大の学生がコースティクの研究を開始して2年を経たがいい結果にならなかった。その様子をゼミでみていたが、結局 私が このテーマをとりあげて成功させてシャチの背中のコースティクを実現した。この シャチの画像は研究室の代表作品となった(SIG 1994)。没になったアイデアあるいは失敗したもののなかに宝物があるといういい例である。まさに失敗は成功の元である。 シャチに関しては、福山大の学 生で魚類が大好きのものがおり、彼の卒研はメタボールの入力システムであった。それで、600以上のボール組み合わせたシャチのデータを作成してくれて いた。 これらを融合することで完成したというえる。  光跡に関しては、最初鉛筆の踊るアニメーションを作成するため、スポットライトの光跡をこころみた(SIG 1987). また、広島大は移転し、西条という町にあり、ここは盆地なので夜になるとよく車のライトの光跡をみることが多かった。それで、光跡のある映像を作成した。 SIGGRAPHではNelson Maxと同じセッションで大気散乱の発表をした。その後こうした研究は、土橋、岩崎君などに引き継がれた。


西田は2007年に大腸の一部(30cm近く)を遠隔手術で切除した。その際のCT画像と3次元表示。先端のCG技術が遠隔手術を助け、職場復帰可能にし た。

学会の推移


CGの研究は学会により加速されてきた。
CG分野では、SIGGRAPHやEUROGRAPHICSがトップコンファレンスと言われている。これらはコンファレンスであるが学会誌としても発刊さ れるので、重要な論文投稿先である。
SIGGRAPHに論文があるだけでも日本では数少ないので、SIGGRAPH発表は、生涯の夢と言われている。 (参考に、西田は トッ プコンファレンスに38件の論文がある)。
SIGGRAPHの筆頭論文のみで考えると、日本のCG関連教授としては僅か10人t程度かもしれない。


 
学会誌
国際会議
ACM TOG (SIGGRAPHの学会 誌)
CG Forum  (EUROGRAPHICS の論文誌)
The Visual Computing
IEEE CGA 
Journal of Visualization and Computer Animation 
Computer Animation and Virtual Worlds 
The Journal of Visualization and Computer Animation
SIGGRAPH
EUROGRAPHICS  
PACIFIC GRAPHICS 
CG International 
NICOGRAPH International 
その他; CASA、SCA

国内学会誌 国内会議
電子情報通信学会英文誌 
和文論文誌D
情報処理学会誌
画 像電子学会誌
VCシンポジウム(毎年6月開催) 
情報処理学会 GCAD研究会(年5回開催)
情報処理学会 全国大会(または FIT)


日本からのSIGGRAPHへの発表;
世界初の4096色表示のフレームバッファを当時東京大の國井利泰教授が日本人初でSIGGRAPH 1974で発表されている。


SIGGRAPHでの発 表件数  (日本からの発表数の表、ただ最近は日本人でも海外滞在中での発表が増えあいまいになったので2011年までの統計)


上のは国別論文発表数: 最近は4年に1回は日本からの論文が採択されない状況である。またアジアで最も進んでいたが、この数年は中国、韓国などに抜かれ ている。

西田の紹介
  • 受賞情報処理学会から研究賞受 賞(現山 下記念研究賞:CG分野で初)、ACM SIGGRAPHから Steven A.Coons Award受賞(CG分野のノーベル賞、アジア初:数社の新聞で報道)、画像電子学会フェロー授与など 20件受賞、 画像電子学会において「西田賞」(日本の優れたCG論文に授与)が創設された。また、研究室内学生はこの14年間で40件以上受賞。
  • 書籍: 著書20冊、訳書1冊、西 田の論文が引用された書籍50・(日本人のCG論文としては最多)
     Nishitaがタイトル“Japanese Computer Scientists: Yukihiro Matsumoto, Makoto Murata, Nobuo MII, Ken Sakamura, Tomoyuki Nishita, Jun Murai, Hiroshi Ishii”に使用された書 籍(著名な日本人コンピュータサイエンティスト12名紹介), 世界的に著名なCG研究者28人を紹介した書籍がある
  • 学会活動/社会貢献; 画像電子学会会長、画像電子学会ビジュアルコンピューティング委員会委員長、情報処理学会GCAD研究会主査、国際会議Chair(及び論文 Chair)5回、国際会議論文委員50回(SIGGRAPH論文委員 5回を含)、国際的学会誌編集委員 4件など学 会委員、また協会理事、会社顧問 4件を歴任
  • Web上での紹介
  • 日本語版Wikipedia; 西 田友是, ス ティーブン・A・クーンズ賞, ラ ジオシティ, コ ンピュータ関連人物, 日 本の工学者、  
  • 英語版Wikipedia;Tomoyuki_Nishita, Coons Award
     学者・研究者のリンク集(ノーベル賞受 賞者を含む日本の509名)で紹介、
  • 広 島大出身の著名人出 身高校の著名人(110周年記念DVDで、活躍する卒業生6人として紹介;動画)、福 山大学の関連人物として名前が挙げられてる。検定試験で西田の名前を回答する問題(CG検定試験、ブ リン検定など)もある。 西 田の紹介: 天才 ハッカー西田の比べて年表(CG の生みの親サザーランドと年表比較)、  musiumWhitehead School
  • ・経歴とWeb紹介; 
     高校(3年間)、大学(6年間)、企業(6年間)、私立大学(18年間)、米国留学(1年間)、国立大(15年間)を経て定年に至りましたが、そのすべ て組織において、現職ではないのに著名人などとして各ホームページ(wikipedia)に記録されて るのには我ながら驚きです。すなわち、
    県 立皆実高校facebook,  受 験ナビ)、 
    広 島大の人物一覧マ ツダの人物、 
    福 山大学の関連人物 (および福 山大教員)
    Brigham Young University staff,(1 年滞在したのみ)  
    東 京大学教員、 
    および広 島県出身者(学者の部)。
    さらに、研究者として:
    日 本の工学者情 報工学者コ ンピュータ関連人物、i計算機関連の研究者は日本に多数いますがなぜ選ばれたのでしょう)
     海外版wikipediaでも Japanese Computer sientist,   Computer graphics professionals, University of Tokyo faculty (歴代の東大教授はかなり多数ですが、選ばれてます)


    CG関連学会誌の順位 参 考サイト 
    1 ACM Siggraph Computer Graphics 2551 141
    2 TOG - ACM Transactions on Graphics 1962 138
    3 CGA - IEEE Computer Graphics and Applications 3347 98
    4 TVCG - IEEE Transactions on Visualization and Computer Graphics 1812 77
    5 CGF - Computer Graphics Forum 2813 76
    6 CAGD - Computer Aided Geometric Design 1385 60
    7 CG - Computers & Graphics 3248 57
    8 VC - The Visual Computer


    CG関連国際会議の順位  参考サイト; 
    1 SIGGRAPH - Annual Conference on Computer Graphics 3476 182
    2 IEEE Visualization 1249 69
    3 I3D -
      ACM Symposium on interactive 3D graphics 423 60
    4 VIS -
      Verl&#65533;・&#65533;・liche Informationssysteme 483 57
    5 EGSR -
     Eurographics Symposium on Rendering/Eurographics Workshop on Rendering Techniques 385 56
    6 GI -
    Graphics Interface 699 54
    7 INFOVIS -
    IEEE Symposium on Information Visualization 424 4
    8 SCA - Symposium on Computer Animation 259 47
    9 ISMAR -
    International Symposium on Mixed and Augmented Reality 754 40
    10 VR - Virtual Reality 463 40
    11 CA - Computer Animation Conference 290 38
    12 SMA -
    Symposium on Solid Modeling and Applications 639 37
    13 PG -
    Pacific Conference on Computer Graphics and Applications 513 36



    SIGGRAPH(TOG含む)に お ける
    筆頭著者の論文数の順位

    参 考サイト; SIGGRAPH ASIAは除く著者3,504人での順位です。同一論文数は最上位で整理した。 ()内は論文数 (一 部は2012年以前で最新ではな い)
    1位(10件): T. Sederberg
    2位(8件): N. Max*,J. Blinn* など 
    5位(7件): 西田*、J.Kajiya*、Perlin、Raskar など
    13位(6件): Catmull*、Cook*,Hanrahan* K. Zhou, Stam など
    30位(5件); P.Debevec, P. Heckbert など
    49位(4件): Agrawala, Jensen, Whitted*, Cohen など 
    95位(3件): 土橋、五十嵐、梅谷, Akeley、Kobbelt, Williams*, Foley* など 
    182位(2件): 岩田、國井、中前、大竹、斉藤、新谷、高山、蜂須賀、 Bajaj、D.Greenberg*、Crow, Rushmeier, Hou など
    496?位(1件):M. Gross, D. Salshin、 安生、平賀、五十嵐夫 人、井尻、金田、三谷、宮田,向井、 村木、新見、西野、岡部、大和田、佐藤、高木、戸塚、津村、宇野、山口(早稲田)、山根、河口、北山, 安藤 (多 いので日本人中心に列挙、ただし2013以前) {この2,3年では、坂東、岩崎、楽、落合なども発表してる。}
     

    *を付けたのがクーンズ賞受賞者ですが、以外と1件しかなくても受賞してる人がいます。
     
    GreenbergやSalsinは筆頭は1,2件しかなくてもSIGGRAPHの総論文数は 50近くもあり、組織の力も必要と思います。Sederberg, N. Maxなどは博士学生は2,3人しかもたないので、自分の筆頭が多くなるのだそうです。

    国内での学会としての発表の場は

    情報処理学会の中にグラフィクスとCAD研 究会
    画像電子学会の中にビュジュアルコンピューティング委員会
    芸術科学会 NICOGRAPHを引き継ぐ
    VR学会

    学会からの賞

    ACM SIGGRAPH Coons賞など5つの賞
    情報処理学会 山 下記念研究賞
    画像電子学会
     VC賞、VCポスター賞、西田賞
    NICnGRAPH; CG-JAPAN AWARD

    山下記念研究賞; 昭和62年に創設され,研究会およびシンポジウム発表論文の中から特に優秀な論文を選び,その発表者に授 与さ れる。当初は研究賞と言われていた。CG分野での初代受賞者は西田である。

    西田賞; 西田がACMからCoons賞を受賞したことの記念し、2006年にできた画 像電子学会誌においてCGに関する優秀な論文著者に2年に1人与えられる賞

    CG-JAPAN AWARD: 芸術科学会では日本のCGの発展に貢献した人に賞を出している。これ まで、國井(元東大教授)、中前(広大名誉教授)、穂坂先生(東大名誉教授),西田(当時東大教授)、中嶋(東京工大名誉教授)、大野先生(当時慶応教 授))などが受賞

    おわりに
     ゲーム会社等のプログラマーと話をした際、CGの歴史を知らないのに最近よく気づく、また学生の場合は講義で CG歴史を学ぶのだが、試験をすると人名に関しては殆ど回答できない。 昔は、偉人伝を読んで将来はこうした人になりたいとか言ったものです。先陣の苦労やアイデアの経緯を知ると、自分にも新規性のある研究ができるに気分にな るのではと思い、本ページを作成した。 CGはまだ若い分野であるので、教科書ででてくる種々の技法の考案者はまだ殆ど生きておられる。こうしたパイオニアとは直接話をして、将来の自分に備える ことも可能である。 とくにここで強調したかったのは、偉大な教師に偉大な生徒が育つということである。 すなわちこのスライド(本物の継承) が一番重要と思います。だから本物の指導者を探して弟子入りすることを薦めます。 CGは米国社会が中心で進化しています。米国以外でのCGへの貢献者は目立ちません。というか言語の問題もあり、英語で発表するまでは知られません。その 意味でも日本のCG界への貢献は過小評価されています(日本が世界に先駆けて開発していても、世界に知られてないことが多いのが残O)。それで、やや日本 のCGを強調してここでは書いています。 ここでは、日本のCG研究者の名前の大半が出てきています。米国、欧州、、中国に比べて論文数等を競うのは日本は控えめです。研究者の道を選んだなら、好 きな研究をすれば満足というのではなく、社会に貢献できないと意味がありませんので、知名度を上げるべく研究に努力すべきと思います。書籍や記事を多くを 書く研究者ではなく、解説してもらう側の研究者が理想です。

    追記;  ここで海外を含め多くの著名人を上げていますが、私はかなり人にお会いしており、身近なものとして書きました (私しか経験できないとも言 えます)。SIGGRAPH 受賞者は毎年食事会をしていますので、ほぼ皆さん毎年出席されています。私が30歳の終わり頃は、ゼロック ス研究所、ベル研究所、トロント大学、SGIなど10以上の組織を訪問し講演するチャンスがありました。また、ピクサーを始め数社のアニメスタジオでの講 演のチャンスもあります。また論文委員会では泊まり込みで議論して親睦をはかりました。中にはPerlinのようにピアノを一緒に連弾したり、自宅を訪ね 互いに演奏をした教授もあります。 私の研究室に客員教授として半年以上滞在されていた人も数人います。こちらが滞在した海外の大学も6大学以上あり研究者間の連携を図ってきました。 SIGGRAPHは20年以上前までは、セッションチェァーと朝食を一緒にする制度でした。その際、ユタ大にThetherlandを招いたEvans教 授と食事をしたのもいい経験でした。 Thetherlandとは京都賞の際にお会いできたし、アランケイやフラクタルで著名なマデルブローは東大内で講演を聞くことができた。




     


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